町家の雛めぐり
 町家の雛めぐり >> ひな人形にまつわる物語 我が家の「ひな物語」

 我が家のひな物語

私(我が家)の雛物語を募集しています!

 皆さんの『我が家の雛物語』を募集しています。
 詳しくは、『私(我が家)の雛物語募集要項)』をご覧ください。


ひな人形にまつわる物語 高取の「我が家のひな物語」

各御家庭で飾って下さっている雛人形には、それぞれ皆さんの思い入れがあります。そんな思い入れを物語で綴った「ひな物語」が、雛人形とともに展示されています。
それぞれのひな人形にまつわる物語も、合わせてお楽しみください。このページでは、その一部をご紹介いたします。
ひな人形 昭和十九年、母の里に疎開した戦争も終わろうかという頃のお話です。
 「ひな祭り」なんと優しい響きでしょう。女の子にとってはどんな時代であっても雛の前で、お友達と楽しい一時を過ごせることが夢ではないでしょうか。
 物のない時代に巡り合わせた娘のために「何とかしてやりたい」との母の思いが、ちりめんで作った「うさぎ」や「ねずみ」「唐子人形」と共に「紙雛」で三段にして祝ってくれました。私にはそれが最高のお雛様だったのを、古希を迎えた今も懐かしく思い出されます。
 そのときの紙雛はどこへ行ったか、今あればここに一緒に飾れたのにと、ちょっと残念です。
 今日飾っておりますお雛様は私の姪の雛です。その姪も嫁ぎ一人の子供の親となりましたが、残念ながら男の子。
 今ここに雛を飾る機会を与えられ、姪もお雛様も喜んでいることでしょう。
ひな人形 今は一人の子供の母となった娘のお雛さまです。娘が生まれて実家から、家が狭いだろうと思って一年中飾っておける「わらべ人形」を送ってきました。
娘が小学校に通うようになって、たしか十才頃だったと思いますが、娘から「家の人形はお雛さまではない」と言われ、ひな祭りが終わった後のバーゲンセールで買った小さなお雛さまです。我が家に来てはや二六年たちます。娘が嫁いだ後も毎年桃の節句には飾っています。夫は仕事一筋で家の事は一切私に押し付けていて、我が家にお雛さまがある事すら知りませんでした。
定年退職後、今度はボランティア活動を日課にしていて、未だ家の事は殆どいたしませんが、この企画に携わって初めて我が家のお雛さまの物語りを知り、少しは反省しているらしいです。
ひな人形 私は今年で六十九才になりましたが、五才の時父が亡くなり母と私達幼い子供五人が協力し、苦しい乍ら楽しい生活を送ってきました。
特に長兄には親代わりとして私の結婚や出産の時、私の想像以上の品物を買っていただき、今も感謝の気持ちで一ぱいです。
 長女が生まれ、兄も大変喜んでくれて、小さい乍ら心のこもった、このひな人形を送っていただき感激しました。今もこの人形を見ると兄、姉達に感謝の気持ちがわいてきて涙が流れます。
ひな人形 昭和三十四年に誕生した娘のお雛様です。同じ町内に嫁いだ娘に初めての女の子の誕生という事で、農家である両親が大阪の松山町筋に二人で買いに行ってくれました。今でもその時の様子が思い出されます。
 それから十五六年後に、風呂場附近から出火し幸いにして小火で収まる事ができました。このお雛様は、お風呂場の階上の袋戸棚の中に収納していたものです。それから後は、節句が来るたびに気になりながら見るのが怖くて開ける事が出来ませんでした。
 この度は良い機会を与えて頂き、恐る恐る息子に見てもらった所、黒く煤けて変質しているかと思っていましたが、この様に何ともなく保存されていました。
 高価な物ではありませんが、両親が心を込めて買ってくれたお雛様が、あの火事を消し止めてくださったと思って感謝しています。
ひな人形 娘の翠は女子大生になりました。このおひな様は、私の実家の両親から贈られたものです。増本家にとって五十年ぶりに生まれた女の子ということで、皆の喜びもひとしおでした。
初めて座敷に飾られたおひな様を見て、あでやかで凛としていて、何とも言えず春らしい、あたたかい空気に家中が包まれたのを今でも思い出します。
毎年、娘と母と私の親子三代でおひな様を出します。
健やかで、優しい娘に育ってほしいとの願いを込めて、贈ってくれた両親の思う娘に成長してくれました。
この様に皆様に見て頂く事が出来、嬉しいです。
本日は遠く迄足を運んで下さって有難うございました。

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